マノロ・カラコール of フラメンコ百科事典-歴代フラメンコ歌手

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このコーナーでは、歴代のフラメンコ歌手の中でも
フラメンコの発展に寄与したり、それぞれの時代を代表した
特に重要と思われるフラメンコ歌手をご紹介します。

マノロ・カラコール  1909年生まれ

マノロ・カラコールは1909年セビージャ生まれ、
ニーニャ・デ・ロス・ペイネスと同じくアントニオ・チャコンの弟子で、
1973年にマドリッドで交通事故で亡くなりました。

14歳の時チャコンが審査委員長をしたカンテコンクールに出場し、
今でいう奨励賞のようなものを貰い、その後チャコンらの指導を受けて、
フラメンコ歌手として広く売り出されたようです。


マノロ・カラコールには、それまでのフラメンコ歌手と大きく違う点があるので、
今日はそんなお話しを少しご紹介したいと思います。

20世紀初頭のフラメンコ歌手は、人気があると言っても、
実際にライブに足を運ぶ人たちだけに知られていました。

当時カンテのライブは比較的小さい会場で行われていたので、
観客数も限られ、まだ庶民の家にレコードなんかあるはずもないので、
カンテが大ブレークしたと言っても、
カンテファンの人数は、実はまだほんの少数だったんです。

それを革命的に変えたのがマノロ・カラコール。

なんと、カンテのプロモーションビデオ(当時は映画フィルム)を作った
第1号こそが、マノロ・カラコールだと言われています。

まだテレビもなかった時代、映画はスペイン国民の貴重な娯楽でした。

マノロ・カラコールは自分の歌うカンテの映像を撮影して、
一般の映画と一緒に、地方の村々で上映したんです。

また、彼自身の主演映画も撮影されていたので、その人気は、
アンダルシアを中心とした農村の隅々にまで広がりました。

カンテ鑑賞がほんの少数のお金持ちや知識階級の人の娯楽だったものを
一般庶民、特に農民たちの楽しみになった!
そのきっかけを作ったのが、このマノロ・カラコールだと言えるかもしれません。


今回ご紹介する映像はファンダンゴ。
マノロ・カラコールのレパートリーの中でも特に人気があった歌です。

また、サンブラという、彼のオリジナル曲種もかなり人気があり、
多くの録音が残されています。

現在でも多くの種類のCDが発売されて手に入りやすいですし、
スペインでは、主演映画のDVDもデパートなどでよく見かけます。

フラメンコ歌手として初の1大ブームを起こした人です。ぜひチェックしてくださいね。

2014年6月16日筆 Naranjita



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