このコーナーでは、歴代のフラメンコ歌手の中でも
フラメンコの発展に寄与したり、それぞれの時代を代表した
特に重要と思われるフラメンコ歌手をご紹介します。
アントニオ・マイレーナ 1909年生まれ
日本で1,2を争うほど有名なフラメンコ歌手
アントニオ・マイレーナのシギリージャをお聞きください。
アントニオ・マイレーナはセビージャ県の小さな村
マイレーナ・デル・アルコールで1909年に生まれ、
1983年セビージャ市内で亡くなりました。
(マイレーナ・デル・アルコールは
現在は人口がとっても多いベッドタウンになっています。)
アントニオ・マイレーナが他のフラメンコ歌手と違う点は、
アメリカ、それもハリウッドで先に人気がでた逆輸入歌手であることです。
まだスペインでそれほど人気のなかった頃にアメリカにわたり、
数多くのハリウッド映画に出演して大人気映画俳優となり、
後年スペインに帰国してから多くのコンサート、
テレビなどでカリスマ的人気の歌手として大活躍しました。
アントニオ・マイレーナに関しては、
日本にも詳しい方がたくさんいらっしゃって
いまさら私が紹介するのもおこがましいと思いますので、
今日は少し違う視点でお話しをしたいと思います。
実は、あまり知られていないことかもしれませんが、
私の師匠のナランヒート・デ・トリアーナのパドリーノ・デ・カンテが
アントニオ・マイレーナなんです。
パドリーノ・デ・カンテ、あまり馴染みのない言葉かもしれませんね。
直訳すると<カンテのお父さん代わり>となります。
スペインは、俗に紹介文化だと言われていることをご存知ですか?
就職も日本のような大規模な試験などは存在せず、
現在も個人的な紹介者を通して雇用することがほとんどです。
カンテの世界でも、どんな敏腕マネージャーを持つよりも、
このパドリーノ・デ・カンテに誰を持つのかで
将来がほぼ決まってしまうと言っても過言ではないでしょう。
一般に、フラメンコ歌手がある程度のキャリアを持つと、
若い才能ある弟子をとって、パドリーノ・デ・カンテになろうとします。
そして、毎日の仕事に連れて歩いていろいろな人に紹介したり、
自分のコンサートで前座をさせたりするんですよね。
日本でいう、北島三郎さんとお弟子さんの関係に近いかもしれません。
よい弟子を育て、パドリーノ・デ・カンテになることは、
ベテランフラメンコ歌手にとって、とっても大事な仕事です。
というのも、多くの若い才能ある歌手を育てれば、
カンテの世界で後世までずっと尊敬され、名前も残りますから。
ぜひ、自分の好きなフラメンコ歌手の師匠のカンテも聞いてみてください。
まさしくこのパドリーノ・デ・カンテがそれにあたります。
そして、逆に自分の好きな歌手がパドリーノとなって育てた
若い歌手のカンテも聴いてみるのも面白いと思います。
アントニオ・マイレーナは、ナランヒート以外にも
数人の若いフラメンコ歌手のパドリーノ・デ・カンテになりました。
私も、実はアントニオ・マイレーナの孫弟子にあたるんですね。
2014年6月16日筆 Naranjita