カマロン・デ・ラ・イスラ of フラメンコ百科事典-歴代フラメンコ歌手

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このコーナーでは、歴代のフラメンコ歌手の中でも
フラメンコの発展に寄与したり、それぞれの時代を代表した
特に重要と思われるフラメンコ歌手をご紹介します。

カマロン・デ・ラ・イスラ  1950年生まれ

カマロン・デ・ラ・イスラは、日本でとてもよく知られているフラメンコ歌手です。

カマロンは、1950年にカディスのサンフェルナンドで生まれ、
1992年にわずか41歳でバルセロナ近くの保養地
バダロナで亡くなりました。

ご紹介する映像は、最高のパートナーだったと言われた、
パコ・デ・ルシアのギターで歌うブレリアです。

カマロンの人生に関しては、詳しい方に譲るとして、
今日は、少し私(ナランヒータ)にとってのカマロンの話しをさせて下さい。


私がカンテを始めたのは、カマロンが亡くなった直後でした。

カンテの勉強をはじめたばかりの私に、日本の多くの先輩諸氏が、
まずカマロンのCDを買って勉強しろと勧めてくれました。

こう見えて、根は結構素直な私。
早速、CDショップに出かけていくと、
追悼盤をはじめ、多くのカマロンのCDが並んでいました。
その中で一番いっぱい曲が入っているCDを買い込み、
家に帰って早速聞いてみたのですが・・・

CDをかけて10分で、私はカマロンのカンテを聴くのをやめました。

その後、先輩諸氏にカマロンで勉強しているかと聞かれる度、
10分で聞くのをやめたと答え、”だからダメなんだ。”と
あきれられ、叱られたものです。

でも、実は私は彼の歌が嫌いで聴くのをやめてしまったのではなく、
もうそれ以上聴きつづけられなかったんです。

理由は、、、カマロンがとっても苦しそうだったから。

後日わかったことだったんですが、
私が聴いた録音は、晩年で肺を患っていた時のものだそう。
だから、聴いていてこちらまで息が苦しくなってしまったんですね。

小さい時から歌を歌っていた方はお分かりだと思いますが、
私達歌うアホウは、呼吸器を病んでいる人の歌を聴くと、
そのつらさがはっきりとわかるものなんです。
そして、自分も息苦しくなってしまいます。

そのことを、先輩諸氏に話したこともあったんですが、

”それこそがカンテだ。カマロンだ。お前はわかってない。”
と言われるばかり。

”ちゃんと病気を治して、長生きして、
 ずっといい状態で歌っていて欲しかったですよね。”
なんて言ったりしたもんですから、

”フラメンコっていうのは、そういうものなんだよ。わかんないのか!”
と火に油をそそぐ結果に。

それ以来、私はフラメンコとはなんだという事を考えるのを避け、
カマロンの話しをするのをさけるようになってしまいました。



留学してからも、ずっと避け続けていたのですが、
そんなある日、師匠のナランヒートがレッスンの時に、
ふとカマロンとの思い出を語りだしたんです。


  一緒にツアーを回っていた頃、
  あいつはちょくちょく車にこもってしまったんだ。

  薬を打ちに行ってたんだよ。

  もう誰も彼を止められなくなってたけど、
  俺はあいつが子供の頃からよく知っててね、
  ギターも一緒のパコ・デ・ルシアだったし。

  何度もやめるように言ったよ、病院も紹介した。
  でも、もうおそかったんだろうな。

  子供の頃は、気が弱いけど、勉強家で優しい子だった。

  それがあまりにも売れてしまったから、
  体を壊していても休むこともできずに、
  薬で自分をごまかすしかなくなってたんだよ。


私は思い切ってこう言いました。

”先生、私は彼の晩年の録音を聴くと、
 自分まで呼吸が苦しくなるんです。
 だから、彼のカンテはほとんど聴いてなくて・・・”


ナランヒートは、

”あいつは本当にかわいそうだった。”
と目頭を熱くしていました。

そしてどんなことがあっても、私達には薬に手をだすなと。



後日、マドリッドで、たまたまタクシーに乗った時の事です。

フラメンコ番組をのりのりで聴いていた運転手さん、
カマロンのカンテがかかった途端に、こう言いました。

”おねえちゃんフラメンコ好きかい?他のに回してもいい?”

”ねえ、今のカマロンのカンテよね。どうして替えたいの?”

運転手さんは静かに語り始めました。

”俺はな、子供の頃からすんげーカマロンファンだったんだ。
 でもよー、あの綺麗だった、音程もよかった声が
 どんどん悪くなってよ、ひどいことになってよ。”

”呼吸器を患っていたんでしょ?この歌も息が苦しそうだよね。”

”だからよー、俺かわいそうで聴いてられないんだよ。”

”デビューアルバム、パコの伴奏のはよかったよね。”

”そうさ。俺はあれしか聴かないんだ。あれがカマロンなんだよ。”

”私も苦しそうで晩年のは聴いてられないの。”

”そっかー、わかってくれるかー。
 あんなに売れなくていいからよ、長生きしてほしかったんだよ。”



私、カンテ続けててもいいのかな?

その時、そう思いました。

2014年6月16日筆 Naranjita



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