マヌエル・トーレ of フラメンコ百科事典-歴代フラメンコ歌手

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このコーナーでは、歴代のフラメンコ歌手の中でも
フラメンコの発展に寄与したり、それぞれの時代を代表した
特に重要と思われるフラメンコ歌手をご紹介します。

マヌエル・トーレ  1878年生まれ

マヌエル・トーレ(本名Manuel Soto Loreto)は、
1878年へレスで生まれ、1933年にセビージャで亡くなりました。

このマヌエル・トーレは、
へレスのカンテの基礎を作ったフラメンコ歌手と言われています。


今日は、へレスのカンテについて少しお話ししましょう。

カンテは19世紀にセビージャで生まれ、20世紀になって各地に広がり、流行しました。

そんな中、セビージャから伝わったカンテを、
へレスの地で引っ張っていったのがこのマヌエル・トーレなんです。

へレス出身のフラメンコ歌手がよく歌うシギリージャやソレアは、
一般にシギリージャ・デ・ヘレスやソレア・デ・ヘレスと呼ばれているのですが、
このマヌエル・トーレが歌い始めたことから、
シギリージャ・デ・マヌエル・トーレやソレア・デ・マヌエル・トーレとも呼ばれています。

本日ご紹介する映像は、マラゲーニャ・デ・マヌエル・トーレ、
これもへレス出身のフラメンコ歌手が好んで歌うマラゲーニャです。

へレスの人たちにとってマヌエル・トーレは、
亡くなって80年たった今でも、もっとも重要な歌手として愛されています。


ちなみに、マヌエル・トーレは
私の師匠の1人ホセ・デ・ラ・トマサの大叔父にもあたります。

ホセもセビージャで生まれたものの、同じ家族ですから、
マヌエル・トーレのカンテを継承していて、
私達生徒にもマヌエル・トーレのカンテを色々教えてくれました。

ちなみに、マヌエル・トーレが基礎を作ったへレス系のカンテは、
現在私がよく歌っているトリアーナのカンテと比べて、
メロディがシンプルで骨太、リズムはよりはっきりしています。

そのため、踊りバックのカンテとしてもよく歌われているので、
日本でも他の地方のカンテに比べて聴く機会が多いですね。

2014年6月16日筆 Naranjita



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